50代おひとりさま「王様の耳はロバの耳」

50代の地味な日常です。肩の力を抜いて身軽に軽やかに暮らしたいです

塞がらない穴

にしおかすみこさんの書かれている「ポンコツ一家」を読んだ。


吸い込まれる様に読んで、彼女の素晴らしい文章に通勤電車であることを忘れて普通にクスクス笑ってしまいそうになったり涙目になったりした。


あの文章からだけではご本人の苦労は計れない。
それでも家族っていいなぁと感じる文章ばかりだった。


血縁関係って時にこの上なく煩わしい。


体中の血を入れ替えて親や姉とも血縁関係を解消したいと何度も思ったことのある私は
「家族」という言葉に憧れ、嫌悪する。



彼女のお母さまの具合が悪くなった時の話しの中で、母親が自分を認識できなくなった瞬間のことが書かれていた。
翌日にはそのことさえお母さまは忘れているのだけどね。



私の母が施設に入ったとき、ほどんど毎週、母の元に通った。


母の大好きなお菓子やジュースを持って・・
時には母の喜びそうな柄の服を買って。


母の第一声は必ずと言っていいほど「さよちゃ~ん」でした。
※姉の名前と仮定しています。
私と姉は一文字違いの似た様な名前なんです💦



私が「かよだよ~」と言うと何度も「かよちゃん、かよちゃん」と言って喜んでいた。


姉と母は10年近く疎遠でした。
母が倒れたことをきっかけに再会したので、認知症になる前の母と姉は会えていない。


なぜ「さよちゃん」なんだろう。
なぜ「かよちゃん」じゃないんだろう。


私はずっとお母さんのそばにいたのに。
救急車で運ばれたその日まで一緒に暮らしてたのに。


母が亡くなる15日前
最後に会った母はやっぱり「さよちゃん」と言葉にした。



別れる間際に「私のことわかる?」尋ねたら
「わかりません」とはっきり答えていたなぁ


そのあと入院してまだ意識のあった母と面会したときは既に言葉を発することはできなかったけど私の顔を見てほっとしている顔をして泣いていた。



母が亡くなった時、私のことがわからなくなったから母は天国に旅立つことにしたんだ・・と感じていた。
でも、もしかしたら姉のことはまだわかっていたかもしれない。


もっと親孝行すればよかった・・なんて後悔は1ミリもない。
やれること、やれること以上のことはやったと思える。



だけどね~
私のことは忘れちゃったんだよね



今年は初盆です。
子供の頃、和室で仏壇の前の提灯がくるくる回っていたな。
お盆の意味なんてわからなかったけど、その提灯がとてもキレイだったことだけはとても印象に残っている。



子供の頃の様な立派な提灯は置けないけど我が家のサイズに合った提灯を買いました。


今年は右の白提灯です。
お盆はいつもよりたくさんのお花を飾ろうと思っています。



ドリカムの歌に「心に穴が開くってことわかった気がした」って歌詞があったな。
本当に心って穴って開くんですよね


時々その穴を勢いよく風が吹き抜けて倒れそうになります。



この喪失感って少しづつ薄れていくのかな